明治大学名誉教授・原道生(1936–2024)。
近松門左衛門をはじめ、義太夫浄瑠璃や歌舞伎、近世演劇の世界を長年にわたり探究し、その成果を世に問い続けてきた碩学の遺稿集が刊行されます。
本書は五章構成。近松浄瑠璃の作劇法や人物造型の精緻な考察、歌舞伎における心情表現や身体性、近世演劇を支える思想的基盤、役者評判記や狂言本の翻刻に至るまで、原先生の研究の全貌を余すところなく収めました。学界で評価を受けた主要論文に加え、これまで広く知られる機会の少なかった論考や講演記録も収録し、研究者にとっては不可欠な資料であると同時に、日本芸能の魅力を伝える文化遺産としても読み継がれる内容となっています。
「浄瑠璃の死生観」「慰み意識の変貌」「歌舞伎俳優と前衛的演出」など、芸能を越えて人間社会の在り方に迫る視点は、いまもなお新鮮な問いを投げかけます。
近世文学・芸能研究者はもとより、日本文化の基層に関心を抱くすべての読者に捧げる、珠玉の学術遺産です。
原先生が亡くなる前に、奥様へ「遺稿集は滝口に頼め」とおっしゃったと聞きました。
その言葉を胸に、この二年あまり、先生の残された原稿を整えてまいりました。
多くの方々のご理解とご協力を賜り、ようやく一冊の形に結ぶことができました。
刊行が遅れたことを申し訳なく思いつつも、こうして形にできたことを心から嬉しく感じております。
本書が、先生を直接知る方々はもとより、論文を通じて先生を知る多くの若い研究者と路の研究者の方々にとって、学びの道しるべとなり、先生の志が新たな世代へと受け継がれていくことを願っております。
原道生
1936年東京都生まれ、2024年11月歿
1960年東京大学文学部国文科卒、1966年同大学院博士課程単位取得満期退学、東京大学文学部助手。1971年横浜市立大学文理学部助教授、1981年明治大学文学部教授。2005年同図書館長。2007年定年退職、名誉教授。
歌舞伎学会会長、義太夫協会代表理事を務める。
『近松浄瑠璃の作劇法』(八木書店刊、2013年)により第46回日本劇学会河竹賞・第36回角川源義賞受賞(2014年)。
【主な著書】
『近松門左衛門(新潮日本古典アルバム)』(新潮社、1991)、『近松集(鑑賞・日本の古典)』(尚学図書、1982)、『近松浄瑠璃集上・下(新日本古典文学大系)』(岩波書店、1993、1995、共著)、『古典にみる日本人の生と死―いのちへの旅―』(笠間書院、2013、共著)、『日本文芸史―表現の流れ―近世』(河出書房新社、1988、共著)、『近松浄瑠璃の作劇法』(八木書店、2013)
第1章 近松・義太夫浄瑠璃の展開
浄瑠璃の作劇法
宝永地震と近松の浄瑠璃─『心中重井筒』の場合─
「慰み」意識の系譜─藤十郎・近松への流れ─
近世演劇における「慰み」意識の変貌
操浄瑠璃の大成と展開─後期浄瑠璃─
『近世演劇を学ぶ人のために』 世界思想社、一九九七〈平成9〉年5月
竹本座─播磨少掾と文耕堂─
「死」の効用 ─浄瑠璃の創り出したもの─
第2章 浄瑠璃の人物たち
「実は」の作劇法─『義経千本桜』の場合─
場面化されぬドラマ─権太の「もどり」─
短所が役に立った人々─時代浄瑠璃の人物たち─
「歴史」確認のドラマ─知盛と実盛─
浄瑠璃に描かれた道真像 ─その神格化の内実─
第3章 歌舞伎の表現
歌舞伎の登場と興隆、変容
心情表現の屈折─寛文期の歌舞伎狂言の場合─
浄瑠璃と歌舞伎─手負いの長ゼリフ─
怪異の出現―歌舞伎の場合―
近世芸能の表現─身体表現としての「芸」─
「死絵」について─基礎的事項の確認─
歌舞伎俳優と前衛的演出─心座の河原崎長十郎と村山知義─
第4章 近世演劇の基底
二つの『石橋山しちきおち』 ─その原拠との関連─
虚構としての「義理」
学・知に対する拗ねた視線─『半二現世安心記』と『独判断』─
役者評判記における板木の修訂 ─元文~明和期の事例─
役者評判記本文に見られた特異な表記について
第5章 翻刻
享保期絵入狂言本二種 ─『けいせい金水車』・『けいせい帯取池』─
近代博多興行史 目次
はじめに
研究篇
第一部 総論 地方興行史概説
第一章 劇場と興行
第一節 武田家と興行
武田政子氏との出会い 武田一族 与吉の芝居道楽
第二節 劇場通史
劇場一覧 博多劇場史の展望
第三節 興行を支える諸制度
請元 請元としての武田与吉 劇場経営者と劇場
第二章 巡業の実態
第一節 初日から千秋楽
町廻り(顔見世) 式三番引き抜きだんまり 替り狂言から千秋楽 番付
第二節 衣裳・小道具・大道具 衣裳・小道具 大道具 劇場ごとの規格
第三節 交通機関の発達と巡業
鉄道敷設前 明治二一年の事例 巡業ルート
第二部 博多興行通史
第一章 伝説の劇場
第一節 宝玉舎をめぐって 宝玉舎 柳町大芝居と永楽社 集玉社
第二節 西門橋教楽社と市川右団次 西門橋教楽社の存在 市川右団次 明治一〇年、一一年の右団次
第三節 鳥熊芝居および集観舎
鳥熊伝説 集観舎のお琴新兵衛
第二章 「社」の時代
第一節 教楽社開場
小田部博美と井上精三の回想から 中村駒之助
第二節 劇場に電灯ともる
大阪中座 尾上多賀之丞 対抗する永楽社
第三節 中村鴈治郎
第三章 日清戦争前後
第一節 我童・福助招聘合戦
明治二五年の状況 我童の招聘ならず 時助・右左次一座から左升一座
第二節 新演劇の興隆
日清戦争劇ブーム 博多の新演劇 際物としての新演劇
第三節 教楽社・永楽社の危機
内紛 教楽社売買問題 東京俳優の招聘計画
第四章 混乱・低迷
第一節 北九州・筑豊の活況
若松旭座開場 小倉旭座・小倉常盤座・直方日若座 博多の地盤沈下 運動場
第二節 博多の大劇場計画
「博多演劇会社」あるいは「福博演劇会社」 教楽・栄楽両劇場の対応
第三節 コレラ
コレラ発生 興行解禁と教楽社・栄楽座の迷走
第五章 諸芸の開花
第一節 映画伝来
自動写真・活動写真 「シネマトグラフ」と「ヴァイタスコープ」 再び教楽社 活動写真の進歩 日露戦争と活動写真 日露戦争以後
第二節 女義太夫
博多の寄席 女義太夫
第三節 浪花節
宮崎滔天と桃中軒雲右衛門 「浮かれ節」から「浪花節」へ 日露戦争と桃中軒雲右衛門
第四節 子供芝居
第六章 「座」の時代到来
第一節 明治座と寿座
開場 武田与吉の「座」の時代 教楽社退転
第二節 新しい芝居
片岡我当の「桐一葉」 実川延二郎 尾上菊五郎・市村羽左衛門・尾上梅幸
第三節 鴈治郎と巌笑、猿之助と八百蔵 嵐巌笑 中村鴈治郎二度目の来演 市川八百蔵と市川猿之助ほか
第七章 「劇場」の時代
第一節 博多座
九州大学誘致と遊廓の移転 博多電気軌道 博多座の構想 左団次・喜多村緑郎
第二節 九州劇場
栄座 九州劇場開場
第二節 松竹の全国制覇と大博劇場への道
第三部 川上音二郎
第一章 名古屋の川上音二郎
第一節 川上音二郎の出発点
なぜ名古屋か 明治一五年名古屋説をめぐって
『名古屋新聞』 『愛知新聞』の新出記事
第二節 川上音二郎と立憲政党
川上の所属 甲田良造をめぐって 立憲政党という組織
第三節 丁年問題その他
渡部虎太郎 生活者としての演説遣い
第二章 博多の川上音二郎
第一節 寄席芸人時代
前史 明治二一年教楽社・明治二二年開明舎
第二節 新演劇
明治二六年 教楽社
第三節 正劇
明治三七年 教楽社
第四節 円熟
明治四〇年 教楽社 明治四三年 博多座 明治四四年 明治座
第三章 終章にかえて
第一節 「みもの、ききもの」をめぐって
第二節 地方興行史研究の展望
新演劇の展開 ジャンルの境界線
引用文献一覧
資料篇
博多興行番付目録
博多興行年表 明治篇
初出一覧
あとがき
索引
上記内容は本書刊行時のものです。

